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 11月 15, 2007  PawPawClub, PawPawお勉強室  その他,  * ペットロス

chuchu-from-kakomie.jpg 愛してやまないかけがえのない我が子を見送るということ 

 

10/06はチュ~ちゃんの一周忌で、心が波打つ日々の中、
ずっと自分なりにペットロスについて考えていました。
そして文字にしてまとめ始めたのですが、
書き進むうちに気持ちが付いてゆかなくなってしまい、
10月のマガジン発行にも間に合いませんでした。

でも、文章にし始めて、涙が止まらなくなりながらも、この悲しみさえも
チュ~ちゃんへの愛情なのだと心が不思議と落ち着いてゆく自分も感じていました。
これもきっと優しいエンジェルマジックなのでしょうね。

「ペットロス」
今の私の状態はそうなのかも知れません。
出口の見えない果てしなく長いトンネルの中で前に進んでは入り口に戻り、
また進んでは転び、泣いたり叫んだりしながら歩いているのかもしれません。
確かに「あの瞬間」、チュ~ちゃんと一緒に意識がなくなった時に
私の中の何かが心から身体から、欠け落ちてしまいました。
私の心もチュ~ちゃんと一緒に旅立ってしまったような感覚でした。

うちではブラッシングの後の数分は「好き好きの時間」でした。
癌の宣告よりもずっと前から、この習慣は変わらず、ブラッシングが終わったら
お互いの温もりをじっと感じながら抱きしめてじっと静かに過ごしました。
いつからかずっと習慣になって、チュ~ちゃんもじっと時が止まったように過ごしたのです。
癌の宣告を受けてからは、「いつか別れが来ても、この温もりを永遠に忘れないように」
そして「このまま時が止まり、一緒に石になってしまいたい」とさえ、思いました。

愛する子を見送るということ・・・考えただけで心が叫び出すほどの恐怖です。
私はチュ~ちゃんを見送った後、友人が泊り込みで見張るほど自分を失っていました。
それほどの状態でした。

毎日チュ~ちゃんの旅立った02:14になるとUrnを抱いて、ただただ、抱きしめて泣いて、
現実を見るのが怖くて、このままずっと目覚めたくないと思う時期も過ごしました。
引きこもり、誰にも会わず、電話にさえも出ない日々も過ごしました。
急にこみ上げる涙をぬぐいもせずにただただ呆然と歩いたこともありました。
心の中でチュ~ちゃん・・・と、呼んだだけで、涙が溢れてくるのですから仕方ありません。

何もかも心のままに泣くだけ泣いて、寂しさと悲しみの中でUrnを抱いて過ごしました。
・・・だけど・・・そんな凄まじい空虚な時間の中でさえ、
不思議にふっと心がほんわりと暖かい柔らかい魂に包まれる瞬間、
永遠の幸せを感じる瞬間もあるのです。    

PawPawClubを開いてもうすぐ7年が経ちます。
そんな中、たくさんの可愛い子たちが虹の橋を渡りました。

可愛い可愛い子たちがどんどんシニアになってゆく中、
抱きしめながらもいつか来るその日に怯えて過ごされているママさんもいらっしゃいます。
闘病中で心の緊張感がずっと続いているママさんもいらっしゃいます。
でも、どうか「その時」を考えて怯えず、毎日を100%一緒に生きてください。 
「今」という時は二度と戻ってこないのです。
「あのときこうしてあげれば・・・」の「あの時」は二度と戻ってこないのです。

そして、果てしもない悲しみの「その時」を迎えた時、
今も止まった時の中で、魂に語りかけながら、それでも幸せだと感じながら
生きている私の状態を知っていただくことで
「大丈夫、心のままに無理をしなくていいんだ」という思いや
「自分はそこまでぼろぼろになってないよ、安心したよ」と感じたり
「愛する子を失ったのだもの自然なことだよね」と、少しでも楽になって頂けるなら・・・

お勉強室で取り上がるテーマとしてはとてもとても重いですし、
「考えたくもない」という思いも必ずあると思います。
なので、必要だと思われた方に読んでいただいたり、読んで頂かなくてもけっこうです。
(私自身もそんな事考えたくもありませんでしたから)

書いているうちにいろいろな思い出が蘇り、
とても言葉にし尽くせない思いがいっぱいなので、全てを文章にすることはできません。
ただ、何年か後、10年後でも、20年後でも、必ずやってくる「その時」に、
私の経験と比べることで「自分は大丈夫」と少しでも安心して頂ければと思います。

そして、どんな形のお別れであっても、すさまじい悲しみや寂しさの中でさえも
「悲しみも苦しみも寂しさも全て自分が味わう側で良かった。
きちんと見送ってあげる事ができて良かったんだ」という
そんな穏やかな気持ちになれることも・・・

一点の曇りもない気持ちでこれほどまでに愛することのできる存在に出会えた私は幸せです。
その眼差しにどれほど心を温められ、勇気をもらい、迷った気持ちを浄化してもらったことか、
今もただただ「ありがとう」という感謝の気持ちで過ごしています。
そして、その思いはチュ~ちゃんの身体のようにふんわりと柔らかく温かいのです。
魂に包まれる暖かさ、私は今、その暖かさを感じながら生きています。

 

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愛しくて悲しくて寂しくて・・・ 見送ってからの日々

 

 

チュ~ちゃんを見送ってからの日々・・・
いったい私はどこをどう歩いてきたのか・・・
悲しくて寂しくて、この道はいったいどこに続いているのか・・・
今もぼんやりと霧がかかってしまったように思い出せません。
 
チュ~た~・・・女の子なのにこの呼び方が一番恋しい・・・
今も大声で「チュ~た~」と呼び続けます。
 
あの日・・・苦しい息の中のチュ~ちゃんを抱きしめながら
「もう行きなさい!ママは大丈夫だからもう行きなさい!」
苦しい息のチュ~ちゃんをもう見ていられない。
こんなに苦しい思いをさせるなら病院での安楽死の方が
良かったのではないかと思える時間を過ごしました。

何時間も苦しい息のチュ~ちゃん・・・
私もチュ~ちゃんと一緒に心が身体が叫び続けていました。
長い長い時間・・・
その姿を見つめていることさえもたまらなくなって
チュ~ちゃんを抱えるように横になったまま
「チャチャ!お願いだから迎えに来てあげて!」と叫び、
目を閉じ、ロザリオの祈りを唱えました。
 
そして・・・祈りの途中で一瞬、私の意識が遠くなったそのとき
・・・チュ~ちゃんは旅立ちました・・・
最後の瞬間をママに見せないように・・・そんな旅立ちでした。

チュ~ちゃんの最期の呼吸・旅立った瞬間に私の意識が戻りました。
意識を失ったのは、ほんの1秒くらいの間だったと思います。
心と身体が引き裂かれる瞬間でした。
言葉にならない叫び、
そしてぽっかりと空いてしまった何かわからないもの・・・
 
それからの事はぼんやりとしか覚えていません。
一緒に意識を失ったあの時から、
本当に空白の時間を過ごしたのだと思います。
なので、今思い出せることだけを書いています。

天国に身体を返してあげる予約が取れた日が
チュ~ちゃんのお誕生日・・・悲しすぎます。
お誕生日の日に身体が天国に帰ったチュ~ちゃん。
そして49日がサンクスギビングディ・・・
まるでチュ~ちゃんが自分で全部決めていったかのようです。
 
身体を天に返してあげる前に一緒にいられた時間、
冷たい身体を何度も何度も抱きしめ、頬ずりをし・・・
そんな全ての時間に現実感を感じないで過ごしました。
まるで夢の中の出来事のように、早く覚めて欲しいと願いながら・・・
 
せめて身体を天に返してあげる日まで一緒にいたい。
だけど24時間以上過ぎると身体の色が変わり、
チュ~ちゃんの可愛い姿がどんどん変わっていく、
チャチャくんの時に、それがたまらなくなって連れて行ったことを思い出しました。
その日までの2日間、霊安室で冷蔵してもらわなくてはいけない。
あと1日しか抱きしめて一緒に過ごせない・・・
 
永遠に一緒にいたい・・・
その想いだけで、足型を取りました。
だけど今でもその足型に色を塗ることさえ出来ません。
 
全身の毛を少しずつカットして、爪も切ってあげて
その少しずつの全てを合わせたらチュ~ちゃんになるように
「甘えていつもママの胸にぺったんしてたトップノット」
「いつもブンブンだったシッポ」
「右のあんよの毛」「右のあんよの爪」・・・と
匂いさえも飛んで欲しくないとジップロックに入れ
それらを更にまとめてジップロックに入れました。
これはチュ~ちゃんの姿形見、今も一緒に寝ています。
 
いつもお祈りを捧げたチュ~ちゃんのロザリオを首にかけてあげて
大好きだったレバーとパワーバーをお口のところに、
そして、ママの毛を一房、一緒に入れてあげました。
 
そして2日後・・・
霊安室から出されたチュ~ちゃんはまるで眠っているよう・・・
ロザリオは半分に切って首に巻いてもらっていました。
半分になったロザリオ・・・まるで私の心のようでした。
チュ~ちゃんと半分こにしたロザリオ、今も大切な宝物。
 
チュ~ちゃんが霊安室で眠った日、教会に行き、聖水を頂きました。
身体が天に帰るとき、身体に振りかけてあげるために・・・
そして可愛い可愛いチュ~ちゃんのようなピンクのディジーを買いました。
いつも笑顔で明るく太陽のようだったチュ~ちゃんのようなお花たち。
チュ~ちゃんの身体がお花に包まれて天国に向かって欲しいから・・・
 
ちゃんと見送ってあげなきゃいけないんだと、何度も何度も自分に言い聞かせ、
それでもチュ~ちゃんの身体と引き離される時は、
私は気が狂ったように泣き叫び、正気でいられませんでした。

こちらでは愛する子の身体を天に昇らせてあげる、
その時のスイッチは飼い主が押すのです。
そこに一緒に入ってしまいたいほどの思いの中で、冷たくドアが閉まり、
そして更に自分で我が子の身体を天に返すボタンを押す・・・
正気でいられるはずがありません。
 
友人はチュ~ちゃんの身体が天に戻るとき、
空にチャチャのような雲が見えたと言います。
「チャチャがちゃんと手を引いて行ったんだよ」と・・・
私はただただ呆然とゆらめきながら天に昇る熱気を見つめて
「チュ~た~!ママは大丈夫だからね。安心して行きなさい!」と
今しっかりしないとチュ~ちゃんが可愛そう・・・
ただ、それだけを思い、叫んでいました。
 
友人達は私が死んでしまうのではと心配し、しばらくずっと見張られていました。
     目を離すと17階から飛び降りてしまうのではないか・・・と思われていたそうです。
自分ではそんな状態だったとは思わなくても
心と身体がバラバラになったような
バランスを完全に失った状態だったのだと思います。

それからの日々・・・
チュ~ちゃんの匂いやコートの1本さえも失いたくない・・・
この神経質な私が、1ヶ月間、お掃除さえできずに過ごしました。
チュ~ちゃんが旅立った時のシーツもずっと洗えないでいました。
時間はそこで永遠に凍り付いてしまったかのようでした。
そしてチュ~ちゃんのコートを見つけるたびに、大事に袋にしまいました。

最期に抱きしめたときに着ていたシャツは今でも洗えません。
匂いもそのまま残って欲しいと、ジップロックに入れたまま・・・
最期にチュ~ちゃんが流したおしっこの付いたオムツ、
今もジップロックの袋に入ったまま、キッチンのプーチパッドの上にあります。
お腹が張って人間の赤ちゃん用のお腹周りのゆるいオムツを
最後の3日間、寝る時だけしてあげていましたが
使い捨てのオムツに付いたおしっこの匂いは長い年月で
消えてなくなるものだということも初めて知りました。
 
出かけると、帰った時ににチュ~ちゃんのいないドアを開けるのが怖くて、
出かけることもしなくなりました。引きこもりの始まりです。
 
そんな中でもようやく決心してお掃除をした時、
思い出が遠くなってしまうようで、
チュ~ちゃんの匂いが消えてしまうようで、
掃除機の埃の中のチュ~ちゃんの毛を抱きしめて大声で泣きました。
 
ずっとチュ~ちゃん仕様のままのベッドにしていましたが
そのままだと、チュ~ちゃんの匂いがどんどん消えてしまうのが怖くて
大きなプラスチックの箱を買ってきて
一緒に寝ていたベッドのチュ~ちゃんのタオルや枕などを詰めました。
どうかどうかチュ~ちゃんの匂いが永遠に消えませんように・・・。

そして、再発の宣告を受けた後に付けた落下予防の策などを片付けました。
元気いっぱいの時はそんなもの必要なかったのですから。
「元気なチュ~ちゃんだけを覚えていてあげたいからそうするのだ」と
自分に言い聞かせながら、泣きながら片付けました。

お出かけバッグもチュ~ちゃんのサンバイザーもお口拭きタオルも
よだれかけも、全部全部ジャンボサイズのジップロックに入れました。
「箱を開ければいつだってチュ~ちゃんと過ごした日に戻れる」
そう、その箱はチュ~ちゃんの分身・・・
いつの頃からか貯め始めたブラッシングで取れた毛・・・
今もチュ~ちゃんの匂いがいっぱい。
 
取り残されたまま流れる時間の中で、食品の賞味期限を見てさえも
「チュ~ちゃんが生きていた時に作られたものだ・・・」そう思うだけで、
涙が溢れ、その場で時が止まってしまう日々でした。
 
動かない空気がシンと静かで、心が真っ暗な闇を見つめたまま
起きてチュ~ちゃんがいない現実に、ただただ泣き、
夕暮れが近づくと、お散歩の時間だ・・・と悲しくて泣き
いつも会っていたわんこたちに会うのさえ辛くて
お散歩の時間にエレベーターに乗るのさえ避けるようになりました。

ぼんやりとした時間が、ただただ流れてゆきました。
今が現実なのか夢なのか、わからなくなるほどの時間・・・
時の流れさえも感じないまま、
何も変わらないのに、チュ~ちゃんだけがいない現実を
ただただぼんやりともう一人の自分が違う世界を見ているような
そんな生きている実感の湧かない日々・・・
 
そんな時間の中で、取り付かれたように
全ての写真やビデオをDVDに焼き、
そのバックアップにフラッシュドライブに焼きました。
ぼやけてるもの、あんよしか写っていないもの、
そんな1枚さえも失いたくない・・・と。
それからフレームを買いに行き、写真を何枚も何枚も飾り
どこにいてもチュ~ちゃんの写真が目に入るようにしました。
 
いつもお昼寝していたベッドにもベッドの前のマットにもチュ~ちゃんの写真。
キッチンのプーチパッドの上にもチュ~ちゃんの写真。
食事の台の上にはご飯を待つチュ~ちゃんと
美味しかったね!と、笑顔のチュ~ちゃんの写真。
その写真に話しかけながら毎日お水やご飯をあげ、
食事するときはチュ~ちゃんが下から「頂戴」をしている写真を見て
話しかけながら笑ったり泣いたりしながら食事をしていました。
 
そして今も続く1010セレブレーション
ふっと時計を見たらちょうど10:10だった時から続けているものです。
チュ~ちゃんが生まれた日が10/10なので、時計を見て10:10だったりすると
「1010!チュ~ちゃん!おめでとう!」と言ってはハグハグしていた習慣・・・
今も「1010!チュ~ちゃん!」と叫びます。

1年経ったことも信じられないほど、時の流れは止まったまま・・・
チュ~ちゃんのベッドもテーブルもプーチパッドさえもそのままそこにあります。
お掃除のときにベッドを動かしたら「お昼寝の邪魔しないで下さい」と
掃除機の前に腹いせ粗相をしたチュ~ちゃんを思い出し、
マーブルに残ったチュ~ちゃんの腹いせ粗相のシミを見つめ
「チュ~ちゃんたら・・・」と、泣き笑いのままお掃除をします。
 
あの瞬間に私の中の何かが壊れてしまったのは確かです。
そして、壊れたまま同じ時を今も永遠に生きているのかも知れません。
頭では理解していても心がついてゆかない・・・
今も何一つ変えられないで魂と暮らしています。
 
朝起きたらチャ~くんとチュ~ちゃん、2つのUrnを
チュ~ちゃんのベッドに移し、
キャンドルの火を灯し、朝のお水とご飯をあげます。
夜もお水とご飯をあげて、寝る前にキャンドルを消して
「寝んねしようね」と2つのUrnをベッドに一緒に連れて行きます。
いつも「おじぃちゃん、今日も守ってくれてありがとう」と
父の写真の前でチュ~ちゃんを抱っこして感謝を捧げてから
ベッドルームに行っていた頃となにも変わりのない生活を今でもしています。
 
どう表現してよいのかわからないのですが、
ただ「いない気がしない」のです。
何故かは全くわかりません。不思議といない気がしないのです。
魂に毎日話しかけているので、今も同じように心が温かい。
旅立ったことを受け入れていないわけではないのです。

チャチャをなくした時の感覚は、後悔と悲しみと苦しみをずっと味わい、
そして「いないこと」を嘆き続け、
傍にいるチュ~ちゃんにさえ目が向けられない時間がありました。
病気と闘い続けさせたことや最期に抱いてあげられなかったことへの
深い深い後悔ばかりが強く、幸せだった日々の記憶が思い出せないほどでした。
 
チャチャを失った後は、空間から突然音楽が流れたり・・・
(私だけではなく、わんパパも友人も聞きましたので確かなのです)
「ボクは一緒にいるよ。一人ぼっちで旅立ったんじゃないよ」
チャチャは魂の存在を必死になって伝えていたように感じました。
 
チュ~ちゃんは確かに旅立ったのに・・・私にはまだ実感がないのです。
言葉でどう表現してよいのかわかりませんが
どうしても「いない気がしない」のです。
 
チュ~ちゃんの為に作り続けたヨーグルト、
一緒に過ごした時間を永遠に・・・と、願いながら、
チュ~ちゃんが食べていた時から続いているものを混ぜて作り
今も毎朝チュ~ちゃんにあげています。
一緒に過ごした頃のものが一つでもなくなってしまうのがとても怖いのです。
 
そうして過ごしているある日、不思議な夢をみました。

自分が死ぬ夢だったので目覚めてから驚きましたが、
身体からふわっと解放されて背中に大きな白い羽が生えて
身体がうんと軽くなるのです。
気持ちもなんだか透明になって行く感覚でとにかく、「楽になった」のです。
その時は本当に楽になってしまいたかったのかも知れません。
 
ただ、その夢の中ではチュ~ちゃんが地上にいて、
元気なく、私の残した身体を見つめていて
私はただただひたすらチュ~ちゃんを心配しているのです。

だけどチュ~ちゃんを抱きしめたくても出来ない、
チュ~ちゃんに自分が見えないことがとても悲しくて悲しくて
上からじっとじっと見つめているのです。
抱きしめてあげたくてあげたくて、
それが出来ないことが辛くて切なくて悲しくて・・・

目覚めてから、とても不思議な気持ちでした。
そして、「自分がチュ~ちゃんをきちんと見送ってあげる事ができて良かった」
しみじみと、そう思いました。
悲しさも辛さも寂しさも全て自分が味わう側で良かったと・・・

不思議な夢でした。
まるで「死ぬことはそんなに辛い事じゃないんだよ。
だけど、泣いてるママを見て何も出来ないのはうんと辛いよ、ママ!」と
チュ~ちゃんが類似体験をさせてくれたような感覚でした。
 
だから羽の生えたチュ~ちゃんが今日も安心して
こちらを眺めてくれていられるように、精一杯に笑って過ごします。

それが今、私がチュ~ちゃんにしてあげられる
唯一のことだと思うから・・・
 
「大丈夫だよ、心配しなくていいんだよ・・・」

何も変わらない、全て同じ、姿が見えないだけで何も変わらない。
チュ~ちゃんはチャ~くんと一緒に今もここにいます。
神様から呼ばれたらちゃんとお空に帰るけど
いつも傍で見守ってくれていることに何も変わりはないのです。

だから今、私は安心して、時を過ごしてゆけているような気がします。
魂に守られ、魂と語らい、魂を愛おしみ、魂が安心してくれるように・・・
精一杯の笑顔で生きています。

 

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愛しい命を見送ったママさんたちへ

 

チュ~ちゃんを見送ってからもたくさんのシニアの子が
神様の御許に召されました。
以下は悲しみの中で頂いたメールへのお返事の一部です。
 
 
悲しくて、寂しくて、苦しくて・・・
そんな中で幸せを心の奥底から実感として感じるようになれるまで、
いったいどれほどの涙を流せばいいのでしょう・・・
 
真っ暗で出口の見えないトンネルの中を
泣きながら、転びながら、進んでは立ち止まり、
叫び出してはまた戻り・・・
 
「そんなに泣いていたら成仏できないよ・・・」
そんな言葉の本当の意味さえも考えられないで、
「成仏なんて言葉を言わないで!だってここにいるんだもの!」と叫び
いつも頭の芯が痛くて、心が張り裂けそうで
ただただ泣くだけしかできない日々・・・
 
それが自然のことなのだと、私は思います。
 
ペットロス・・・・・・かけがえのない愛する子を失ったのです。
歩き出せるまで、うんとうんと時間がかかって何が悪いのでしょう?
深く深く愛していたからこそ、悲しみもまたうんと深いのです。
ペットロス症候群は病気ではありません。

自分の身に代えても守りたかった我が子を亡くしたのです。
悲しくて辛くて絶望しか見えなくて当然なのです。
心が引き裂かれるようなその時を経験し、
泣いて泣いて、愛する子のことばかり考えながら生きて・・・
だからこそ愛する子が今何を望んでいるかも考えられるようになるのだと
私は、そんな風に思います。

だから「大丈夫」ですよ。どうかどうか安心してくださいね。
感情に身をゆだね、心に無理をせず、
泣きたいときは思い切り泣き、静かな時を過ごしてください。
 
ペットロスは、過剰な依存症でもなんでもありません。
悲しみを悲しみのまま、
自分が傷つくことのプロテクトさえなしで受け止めるほど
こんなにも純粋に私たちは「愛すること」が出来たのです。
そのことをどうか誇ってください。

チャ~くんの事をちゃんと受け止められるようになるのにも
私はすごくすごく時間がかかりました。
 
チュ~ちゃんの事は、頭では受け止めてはいるのに、現実感がありません。
今もいない気がしないのです。
1年が経ったという時間の流れも感じられないのです。
あの時に一緒に私自身が死んでしまったような感覚さえしてしまうのです。

何をしても現実感がなく、チュ~ちゃんと過ごしてきた時のような
はっきりした感覚や「頑張ろう」という確固とした生きる自信みたいなものが
抜け落ちてしまったような感覚です。

自分が自分でないような、心の半分がなくなってしまったような
なんと表現してよいのかわかりませんが・・・
ぼんやりと、ただ、ぼんやりとしてしまうのです。

私はチャチャを病院で亡くした時の後悔から
チュ~ちゃんには絶対後悔のないようにと
病院が大嫌いだったチュ~ちゃんのために、お家で看取りましたが、
それでもそのことで逆に苦しませたのではないかという
永遠に答の出ない思いにかられます。

深い後悔は時に一緒に頑張ってきた日々さえも思い出せなくなるほど・・・
深く、答えの出ない疑問を抱えたまま
暗く深い闇の淵にたった一人で立っているような時間です。
 
だけど、もしも逆だったら・・・

自分を愛してくれる大好きな存在のためなら
私はどんな苦しみだって痛みだって耐えられます。
1分でも1秒でも長く生きて欲しいと願われれば、苦しくても必死に生きます。
それが私の幸せなのですから・・・

私の分身だったチュ~ちゃんです。
そんなママの気持ちも全部わかってくれていたと信じています。
だからこそ、苦しい中でもまっすぐにママを見つめながら
必死に頑張って生きてくれたのです。
感謝しかありません。

だから、どんな決断であったとしても、
どうかご自分を責めないでください。
愛する子の事を思って一緒に頑張った全てを思い出して下さい。
どんなチョイスも全て「愛する我が子のために考え抜いて」した事です。
 
病院に預けられてそこで急変して旅立った子もいらっしゃいます。
だけど「良くなって欲しい」という必死の思いで預けられたのです。
強い愛と絆で結ばれた我が子です。そこまで一心同体だった子ですもの。
そんなママの気持ちを、愛する子が理解しないはずがありません。
 
たとえ身体が離れていても愛するもの同士、心は通じていますよね。
「もしも逆に自分だったら・・・」
それでも「幸せだったよ。ありがとう。」という感謝しか残りませんね。

どんなに悲しみの中でも、どんなに深い後悔の中でも
どうか「一緒に笑顔で過ごした日々」を思い出してください。
幸せに満ち溢れて一緒に過ごした日々を思い出してください。
そうしないとご自分が壊れてしまいます。
私もまた、そうです。

だからどうか可愛い魂にとって一番嬉しいことをしてあげて下さい。
私は自分が笑顔でいること、チュ~ちゃんが一番好きなママでい続けること
必死になってそうしてきました。

少しずつ、本当に本当に少しずつ、前を向けるようになるまで
悲しみや寂しさに身を任せて何もせずぼんやりと過ごす時間も大切です。

私もなにをするでもなくただぼんやりと雲を眺めたり
星を見つめたり、ただただ時間を過ごしてきました。
傍にチュ~ちゃんがいないことを心の奥からわき出る嗚咽として感じながら・・・

長い長い空白の時間、
息を潜めてただ時間の流れるのをやり過ごしているだけのような時間。
元気という言葉、その意味さえも理解できなくなるほどの時間です。

愛する可愛い子たちが、元気でポジティブだったのは
大好きなママの傍にいられたからこそ・・・
その存在なくして元気になれるはずがない、
そう思う自分をどうか責めないで下さいね。

私たちは大好きな子を見送ったのですもの。
心と身体が切り裂かれるような瞬間を耐え、見送るという大任を果たしたのです。

必死で守ってきた大切な我が子をなくしたのです。
抜け殻になってしまうほどの悲しみと喪失感、
深い悲しみでなにもできなくなることも自然のことなのです。

元気が出ない自分を元気づけすぎないで、
どうかいたわってあげて下さいね。

言っていることがちょっと逆だったり変ですが、
私自身、前に進んだりうんと逆戻りしたりしながら歩いています。

私は今も「チュ~ちゃん!会いたいよ!寂しいよ!」と
わんわん泣いてしまいます。
流した涙を繋げて、それが天国への架け橋になって
そしてその橋を渡って会いに行けるなら
自分が消えてしまうまで泣き続けたいとさえ、思いました。
 
「泣かないで・・・ママ・・・」
私はチュ~ちゃんのそんな声が聞こえる気がします。

悲しみにくれている愛しい存在を遠くで見つめながら
その涙を拭いてあげることも、傍にいてあげることもできない辛さ、
遠く離れている友達が泣いているとき、私たちがそう思うのと同じように
天使たちもきっと同じ思いでこちらを見てますよね。
 
チュ~ちゃんが旅立ってから1年以上も経ち、
その間、普通にお掃除をしているのに、ふっとした瞬間に、
今でもチュ~ちゃんの毛がたまに見つかったりします。
それも自分の心がチュ~ちゃんを強く思う時ばかり・・・
もちろん大事に大事になくさないようにすべて取っています。

お空から見守りながら、ママが悲しみに暮れているとき
天使達は駆け寄って行きたいのに、ママに見える形がなくて
どうしていいか一生懸命考えるのだと思います。
 
私自身、チュ~ちゃんがいない気がしないくらいだから
もしかしたらチュ~ちゃんも天使になった自覚が全くなくて
傍にいるからそう感じるのかも・・・そんな風にも思いました。
 
全てのものに思い出がいっぱい・・・
そしてそれらに囲まれて過ごすことは時に苦しくなりますが、
思い出にはできないまま、私は今もその中で過ごしています。
 
「思い出にしがみついて生きている」
そうなのかも知れません。
でも、誰に何を言われてもかまいません。
そうすることが今の私の幸せなのです。
そして、それが私の心の安定なのです。
 
「ママ!また一歩を踏み出しなさい」
必要な時はきっと愛しい魂がそう言って背中を押してくれるはず。
心の声を聞きながら過ごせることはとても幸せなことだと感じています。

私は、もしも自分が死んだら、残された人には
笑顔で元気で毎日を幸せに過ごして欲しいと思っています。
だからきっと愛する我が子の思いも同じなのだと信じています。

泣きながらでも無理にでも笑顔で
「ありがとう!ママは大丈夫、だから安心していいからね!」って
「声に出して」言ってあげて下さい。
私はそうしてきました。
声に出して言うと、届くような気がします。不思議ですが・・・
それは自分にも言い聞かせているからかも知れませんね。
そしてその後、どんなに泣いてもいいんだと、私はそんな風に思います。

「ママは大丈夫!頑張るよ!」
何百回となく私はずっとずっと言い続けてきました。
そして、今も「頑張るよ、見ててね!」と毎日写真に向かって
声に出して言っています。
「頑張るよ!」の私の声が、チャ~くんやチュ~ちゃんだけでなく、
愛する子を見送ったママさんたちにも届いて欲しいです。

だけど・・・頑張らなくてもいいのです。
「今を生きていること自体が、充分に頑張っていること」なのですから・・・

こんなに深い悲しみや身を引き裂かれるような想いを抱えて
必死で生きていることだけで、充分、私たちは「頑張っている」のです。
それだけでいいんだと思います。
それ以上は頑張れないですよね。
 
そしてこんなにも愛せる子と巡り会えてきちんと見送ってあげられた
私たちはとてもとても幸せなのです。
なんと大きなプレゼントを神様から頂いたことでしょう。
それを感じられることだけでもうんと幸せなのです。
 
一緒に生きましょう。ゆっくり生きましょう。

それが魂たちへの唯一してあげられることなのですから・・・
そしてそれが一番あの子たちを幸せでい続けさせてあげられることなのだと
私はそんな風に思います。
 
涙が枯れることがなくても、一緒に歩きましょう。
ゆっくりゆっくり、立ち止まりながら、一緒に生きましょうね。

私たちは幸せなのです。
こんなにも愛しい子を思いながら生きていけるのですから・・・
「ありがとう」と感謝しながら毎日生きてゆけるのですから・・・

私たちの人生の先には「虹の橋でまた会える」という
とてもとても大きく幸せな目標があるのです。

神様が「よく頑張ったね」と御許に呼んで下さるまで
その目標に向かって、ゆっくりゆっくり一緒に歩きましょうね。

涙が止まらなくて立ち止まった時は、私の心も一緒に立ち止まって、
ママさんが歩きたくなるのをいつまでも待っています。

ゆっくりゆっくり手を取り合って、少しずつ一緒に歩きましょうね。

 

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大好きなチュ~ちゃんへ・・・

 

 

旅立つ2日前まで笑顔だったチュ~ちゃん。
腫瘍が肝臓の機能を全て奪い、内臓機能全てが働かなくなる日まで
明るく「大丈夫だよ、心配しないで」と・・・健気で強く明るく。
 
頑張ってくれてありがとう、生きてくれてありがとう。
大好きな大好きなチュ~ちゃん、ずっとママの大切な宝物、
チュ~ちゃんと生きた日々はママの誇りです。
 
腫瘍が大きくなってきてジャンプが出来なくなった時も
精一杯背伸びしておかえりなさいのキスをしてくれたチュ~ちゃん
 
残された日が少なくなっていく中
心も身体も本当に一つになって、精一杯一緒に過ごしたね。
ママもあの時に一緒に燃焼してしまったようだよ。
 
チュ~ちゃん、ママは泣き虫だから、まだまだ心配させてごめんね。
いつまでもチュ~ちゃんに甘えてばかりのママだよね。
 
いくつになっても歳をとらなかった本当に不思議な子だったチュ~ちゃん
神様からの大きな大きなプレゼントだったね。
そしてチュ~ちゃんを通してチャチャくんも生きていたんだね。
そして天国のパパとママもいつもチュ~ちゃんを見守ってくれていたんだね。

今も笑顔しか思い出さないほど笑顔だらけのチュ~ちゃん。
大好きだよ、こんなにもいっぱいの幸せをありがとう!
ママは一生分の幸せをもらったんだよ。

ありがとう、ありがとう・・・その言葉しか出て来ない
大好きだよ!永遠にずっとずっと一緒にいるよ。
 
 

 

おはようっ!嬉しい!のキスが大好き
ママ起きて!の笑顔のツンツンが大好き
 
お帰りなさいの飛びつきキッスが大好き
ちぎれるほどに振るしっぽが大好き
 
抱っこしたら、頭をコリコリとすりつける甘え方が大好き
今も感じるふわふわっとしたコートの感触が大好き
 
へそ天でひっくり返ってお腹をなでてって催促が大好き
お手手でママの手をお腹の方に押し戻すしぐさが大好き

お散歩に行くときの嬉しいよ!のダッシュが大好き
寝んねの前のマッサージをおねだりする後姿が大好き

腹いせ粗相でちょっと抗議する時のお顔が大好き
甘えるママに「いいかげんにしてください」のお顔が大好き

 

 

あれを取ってのお眼目使いの合図が大好き
美味しい~!のニコニコ笑顔が大好き
 
ご飯を待つ時のウキウキクルクル回りが大好き
頂戴頂戴の催促ピョンピョンが大好き
 
ご飯が美味しい!お腹いっぱい!の笑顔が大好き
ご飯を一気喰いした後のゲップ~が大好き

 

 

クマさんに顎を乗せて寝ている寝顔が大好き
穏やかなあどけない寝顔が大好き

ベッドからはみ出た可愛いあんよが大好き
ベッドからずり落ちた可愛いお尻が大好き
 
おしっこち~ちゃんをする時に片足をちょっと上げるしぐさが大好き
ウンチっちが出た後のすっきり~嬉しいよ!のお顔が大好き

飛び石をぴょんぴょんって飛んで振り返るお顔が大好き
階段を一気に上って得意気に振り返るお顔が大好き
 
サンスクリーンのブラインドの間から覗くお眼目が大好き
バルコニーでうとうと寝んねする姿が大好き

 

 

洗いたてのシーツが大好きでいつもかくれんぼしたね
一緒にはしゃいでいっぱいいっぱい笑ったね
 
お散歩道を抜けてボードウォークに続く道では
気持ちいい海風に吹かれて一緒に歩いたね
 
バルコニーから見た夕日が眩しくて思わず一緒に目を細めたね
今も夕焼け空はこんなにもきれいだよ
 
車の窓を開けて風を感じるのが好きだったね
車の窓からお外を見るのが大好きだったね
助手席の窓の内側は可愛い鼻スタンプがいつも付いていたね
 
病院から帰る道、あのコーナーを曲がると
もうすぐお家に着くのが嬉しくて嬉しくて、
いつも立ち上がって窓の外を見ていたね
 
秋には小さな林で松ぼっくりを拾ったね
あの木は今もそこに立っているよ
天国に届けとお空に向かって伸びているよ
 
チュ~ちゃんといるとハッピーが何倍にも膨らんで
悲しみや寂しさは消えていってしまったね
チュ~ちゃんと過ごした日々は毎日がハネムーンだったね

 

 

雲は、お腹を見せたチュ~ちゃんになり、
流れてチャチャくんと走り回るチュ~ちゃんになる
願いをこめてこの手を伸ばしたらふわふわのコートに届けばいいのに

夜空を見上げればいつも一番大きく光る星がチュ~ちゃん星
そしてチャチャくん星といつも一緒
流した涙を全部つなげた架け橋を渡って会いに行けたらいいのに

泣いて泣いて何も見えなくなるほど泣いて
思い出に触れることさえ忘れてしまうほど泣いたら
きらきら輝く思い出を数えながら、ずっと一緒に生きてゆこう
 
目を閉じて大好きなチュ~ちゃんを感じよう
吹く風の感触がふわりとしたチュ~ちゃんのコートに感じられるほどに
暖かい日差しの中にチュ~ちゃんのぬくもりを感じられるほどに
強く強くチュ~ちゃんを感じて過ごそう

もう二度とお別れがくることに怯えることもなく
静かに穏やかに、永遠に一緒に暮らそう
 
いつか虹の橋でその身体をまたこの手に抱きしめられる日まで・・・
心静かに、穏やかに、愛しく優しい魂たちと一緒に生きてゆこう
 
その日は遠く果てしないように感じるけれど、きっときっと訪れる
そして一緒に虹の橋を渡ろうね
だから「さよなら」なんかじゃない、See You Againだよ
 
いつか訪れるその時、何年も何十年も先かも知れないけれど
ママも笑顔でみんなに「幸せだったよ、ありがとう!」と、言えるよ

だからその日まで、一緒に過ごした日々を胸に暖め
前を向いて生きてゆこう

 

 

きっと天国は遠くてもうんと心に近い場所
魂に語りかけることでこんなにも暖かい気持ちになれるのだから・・・

 

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以下はチュ~ちゃんが旅立つ2週間前に頂いたメールです。

 

頂いたときは気持ちに余裕がなくお返事をお出しするだけで精一杯でしたので、
1年経って偶然開いたメールで思い出し、涙が流れました。
きっと「ママ、ほら思い出して!あたいのメッセージ!」と言っているのでしょうね。
チュ~ちゃんの精一杯のメッセージなので、ここに残しておきたいと思います。
以下は、まどかちゃんという兎ちゃんのママさんから頂いたメールです。
 
「えっと・・・こういう事を書いていいのか、迷ったのですが・・・・上手く書けませんけど
(いい加減な事を書くなと思われそうでかなり迷いましたけど・・・・)、
チュ~ちゃんからのメッセージをお伝えしときますね。
なんと言いますか、気休め程度に読んで頂ければ。。

チュ~ちゃんはわんママさんのガーディアンエンジェルになるべく
わんママさんの元へやって来たのだそうです。

チュ~ちゃんは魂のレベルでは、自分の運命をちゃんと解っていて
それは悲しいとか寂しいとか言うのでは無く、これからは自分が
ママをちゃんと守るんだ、と張り切っている位なんです。
姿が見えなくても、ずっとわんママさんの足元に寝転がったり
くるくる走り回ったり、そばに居るんです。
何か迷った時やうっかり間違った方向に行きそうな時には
チュ~ちゃんが導いてくれる筈ですので、
時々心を澄ませてアドバイスを聞いてみて下さい。

不思議ですね、私が視えるチュ~ちゃんの姿はとても元気なのです。
もちろん、元気といっても走り回ってると言うのではないですけど、
バスケット?ベッド?の上でにこにこ笑って色々伝えてきてくれてます。
心の姿というか・・・とても無邪気で健気で、まさに天使ですね。
一番伝えてきてるのが、心配しないで、と言ってますね。
ちょっと早口で聞き取り辛い感じなのがなんかおかしいですけど^^;

今までとても幸せだったし、これからはママの側でママを守るっていう
大事な仕事が、自分にとっては本当に幸せな事なんだからと・・」
そんな事を一生懸命伝えてきてますんで・・・

私は特に修行してる訳ではないので、あまりちゃんとした霊視が出来ないんですが、
割と鮮明に見えた部分だけお伝えしときます。
見えたというより、チュ~ちゃんがかなりの勢いで話しかけてきたという方が正しいかも・・・
とても真っ直ぐな魂なので、はるばる日本まで飛んで来てくれたのかな??

なんかいきなり変な話をしてしまいまして申し訳ありません。。
本当に、チュ~ちゃんが毎日幸せに健やかに過ごしてくれる事をお祈りしております。

 

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チュ~ちゃんが旅立ってから、たくさんの方から優しいメールや
チュ~ちゃんへの心のこもったコメントをたくさん頂き、心から感謝です。
今でもページを開くと泣いてしまうというメールを多く頂きます。
みなさんご自分の子のように思ってくださり、感謝で胸がいっぱいです。
本当にありがとうございます。
 
私はみなさんの優しいお気持ちに支えられてPPCを続けられています。
いつもメールに向かって「ありがとうございます」と頭を下げます。
そしてチュ~ちゃんの写真に向かっていっぱいみんなの報告をします。
  
チュ~ちゃんは、神様から与えられた時間を本当に幸せに幸せに
ヨボヨボにもなることもなく、毎日を笑顔で長生きしてくれました。
シニアになってからも元気で食欲大王で毎日が美味しい!
ハッピー!の連続で、もうすぐ18歳という歳を感じさせないくらいに走り回っていました。
 
チュ~ちゃんは小さな身体でママの為に彼女の全てで頑張ってくれ、
私もできうる全てをチュ~ちゃんに捧げ、ずっと一心同体でした。
1日でも長く一緒に幸せに、お互いにその為だけに全身全霊で頑張りました。
今はシンとした寂しさはありますが、後悔はありません。
 
腫瘍再発後もずっとハッピーで笑顔で過ごし、いっぱいいっぱい幸せを
ふりまき続けてくれた愛しいチュ~ちゃんを私は心から誇りに思っています。
最高のパートナーでしたし、これからもそれは変わりません。
 
 写真もビデオもそのほとんどが溢れるばかりの笑顔、
本当に本当にハッピーフェイスなチュ~ちゃんだらけです。
その笑顔を見つめていると、旅立った今でも
魂がニコニコ喜んでいる気がして
寂しさの中でもとても暖かい気持ちになります。
そして、いつも笑顔だったチュ~ちゃんの魂を悲しませないよう
「良い子良い子のチュ~ちゃん、笑顔で長生きしてくれてありがとう」と、
毎日を感謝の気持ちで過ごしています。
 
お勉強室も商品開発も「愛しい愛しい命を大切に大切に、
みんないつまでも元気で幸せに笑顔で長生きしてね」
そんな思いだけでやってきました。
お勉強室はこれからも続けてゆこうと思っています。
 
みんなチュ~ちゃんのようにシニアになってもずっとずっと元気に、
毎日を笑顔でハッピーにうんとうんと長生きしてね。
 
病気の子だってママのいっぱいの愛情で笑顔になって
毎日を穏やかに、幸せに幸せに優しい時間を過ごしてね。
 
これからもみんなが元気で幸せでありますように・・・
祈りのうちに・・・

 

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  神様から与えられた時間・一緒に生きた日々
 
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Nov.2007
  

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